7.04.2009

    我の強い人は得をする

     今日暇つぶしにGIGAZIN読んでいたら、いきなりSkypeにコンタクト申請が来た。だれか聞いてみると、どうも自分とつきあいがあった人ではなさそう。詳しく聞いてみると、中国人の学生であるという。彼はいきなり、自分が大学生で、日本語学科に在籍しており、日本のことに興味がある。だから、私に日本のことを教えてくれ、と言ってきた。そこには遠慮なんて考えはひとかけらもない。この発言を見て、「ああ、やっぱり我の強い人は得をするなあ」と思った。

     数週間前にも中国人からチャットが飛んできた。Skypeを使っている人なら分かるだろう。その人は、日本語の勉強をしているので、文法を教えてくれと頼んできた。僕は文法の知識に自信を持っていなかったので断ったが、そのときも彼(あるいは彼女)はいきなり用件から切り出した。

     我の強い人は得をすると思う。まず、インターネットのチャットだったらデメリットがない。断られたら次の人にチャットを送ればいいからだ。身元がばれる心配もまず無いし、ばれたとしても、「チャットを送ってきた」という理由でその人を非難する人はいないだろう。しかし、インターネットでいきなり外国人にチャットを送ることが出来る人が、日本人にはどれくらいいるだろうか。

     僕なんかは暇だとすぐに話に答えちゃう。こっちも知り合ったこともない外人とチャットをするのはちょっとスリリングだし刺激的だからだ。匿名のチャットだったら、普段聴けない事もすぐに気ける。顔なじみの中国人に「反日教育を受けたの?」なんて質問は絶対できない。そういう点では、匿名のチャットでは、タブーが少ないので気兼ねなく質問できるし、回答も出来る。

     我の強い中国人と、引っ込み思案な日本人。どちらが特をしているのかは一目瞭然だ。

    7.02.2009

    遠洋漁業的なエヴァンゲリオン

    先日公開された「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」。新劇場版2作目の作品だ。この映画だが、オタク層はもちろんのこと、今までアニメに無関心だった人も興味を持っているよう。
    なぜか。恐らくマーケティングが成功したためだろう。さらに言えば、パチスロのおかげだ。エヴァンゲリオンのパチスロ機のヒットにより、今まで見たことがなかった層の人たちを大量に引きずり込んだ。アニメ業界から一度離れ、パチスロに徹するというのは、いわば遠洋漁業だ。違う分野まで自ら出向き、大量のファンを獲得する。

    また、もう一つはオトナアニメ(雑誌の名前だけど、ちょうどいいから拝借)を全面に押し出したことだ。エヴァンゲリオンはガキには分からない(特に、高校生~大学生はそう思っている)。そう思わせるほど謎めいた設定になっているのは周知の通り。高校生・大学生あたりの層にとってこれは大きい。彼らはオトナになるかならないかのまさに中間の中に位置しているわけで、自分で自らをオトナと認識したがっている。そんな世代に、エヴァンゲリオンを観ている(あるいは理解した、と勘違いする)ことは、自分もオトナの仲間に加わった感覚を持たせてくれる。

    80~90年前後の世代にとって、オタクという言葉は実はそれほどネガティブな意味を持っていない。それはおそらく、彼らが青春まっただ中である2005年の電車男ブームなどによる影響だろう。1989年に起こった宮崎勤による連続幼女誘拐殺人事件は世間から忘れ去られていたし、オタクにネガティブなイメージを持っている人は少ない。そして、エヴァンゲリオンの新規層ともなっているのがこの80~90年世代だ。彼らは自分たちのよりどころの1つとして、以前まで一種のタブーであったオトナアニメという選択を取り始めている。

    5.25.2009

    ネットブックのヒットから見えること

    PCのスペックは、爆発的な進化をし続けている。
    世界初のPCであるアップルⅠから始まり、
    クアッドコアCPUまで進化してきた。
    月面着陸を果たしたアポロ十三号のコンピュータは、
    ファミコン以下というから驚きだ。
    しかし、近年この技術の進歩が一直線での進行では無くなってきた。

    最近、どこの家電量販店に行っても入り口には同じ物が並べてある。
    それは、ネットブックだ。
    ネットブックとは、様々な技術をウェブ上で動かすことが可能となった今、
    できるだけシンプルな機能で良いという理念のもと、
    ウェブブラウジングに必要なスペックのみをそろえた破格のノートPCである。
    実際にスペックを見てみると、
    一世代前のノートPCと同レベルの物が、軽量化されている。

    しかし、専門家は、このネットブックが使い物にならないと指摘する。
    低スペックなのに、販売店は十分な機能としてユーザーに販売しているからだ。
    しかし、彼らの指摘はこの現象の本質をつかんでいない。
    低スペックだから使い物にならないのではなく、
    低スペックで十分な層が存在しているのだ。

    実際に、文章作成とウェブブラウジング程度ならば、
    Core2などの高スペックCPUは必要なく、一世代前の物で十分である。
    技術は進歩しつづけているが、その需要は確実に減ってきている。
    このような用途でPCを使う人のスペックは、ここらへんで一度停滞するだろう。

    さらに、ウェブで扱う情報が、一通り出尽くしたことからも、
    ユーザーにとってこれ以上のスペックが必要ない事がいえる。
    現在、私が思いつく情報媒体として文字・映像・音の三種類がある。
    これらの分野において、一通り通信に必要な技術は完結したといえる。
    無論進化はし続けるが、
    それはいかに低レベルなハードで高レベルの情報を扱うかに絞られてくるのではないだろうか。

    しかし、高スペックのPCの需要は已然として高い。
    ただし、それはサービスを受ける側の人間ではなく、
    サービスや技術をつくる人間サイドでの話である。
    ウェブのリクエストを受ける側の人間は低スペックで十分だが、
    爆発的な情報化とPCの普及にともない、
    リクエストが殺到するサービス提供者側ではより高スペックが必要となる。
    あるいは、新技術の開発現場や理学の分野での需要については、
    当然のごとく高スペックのPCが必要とされる。
    つまり、サービス・技術供給者と受容者でPCスペックの二極化が起こりうる。

    このような事を考えると、ノートブックの需要はますます増えていき、
    高スペックのPCは淘汰されサービス・技術供給者のみが必要とするようになるだろう。

    以上本日のチラ裏でした。